ゴアレーベン核廃棄物最終処分場反対運動の歴史

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    建設計画の発表から農民の実力での闘い

     1977年2月22日、「ゴアレーベンに最終処分センター」の計画が発表されました。これは、7km×7kmという巨大な敷地に、ウラン濃縮工場、燃料加工工場、中間処分場(低レベル・高レベル両方)、Castor(廃棄物を入れる容器)工場、再処理工場、最終処分場を建設するという巨大な計画でした。当時、ふつうの農民たちには、この一つひとつがいったい何なのか、全く検討もつきませんでした。

     こうした状況を突き破って、10日後に反対同盟が結成されます。すぐさまデモを組織し、1万人デモを行うとともに、各地域、さらには農民の組織など、次々と結成されていきました。実は73年から、2つの原発計画が持ち上がっては闘いによって破綻させてきた歴史があり、この闘いが土台となって同盟の結成が行われたということです。

     ボーリング調査に対して、農民が反対運動を開始、実力で阻止するような闘いも行われました。リュヒョウ、ダネンベルクには、5000人を収容する警察の駐屯地が作られ、反対運動には「犯罪者」のレッテルが貼られていきました。

     1979年には、州都ハノーバーでのデモが行われました。トラクターだけでなく、鳥や豚などの動物をたくさんつれて、一週間かけてたくさんの村や町をデモしながら、ジワリジワリと進みました。ハノーバーでのデモには、10万人になっていました。当時、スリーマイル島の原発事故があり、その影響もあって、多くの人たちが応えてくれました。

     これを受けて州首相が、強硬姿勢を崩し、計画のうち再処理工場、濃縮工場、燃料加工工場の計画は断念せざるを得ないと発言します。その後、再処理工場への執着は強く、1981年には20km離れたところに計画を発表、これをさらに闘いで破綻させます。バッカスドルフという場所での計画も持ち上がりますが、これに関しても勝利。ゴアレーベンからも闘いを「輸出」し、現地の事務所に詰めて闘ったようです。

     1983年〜95年の間、核廃棄物の搬入を阻止し続けました。95年、警察3万人が導入され、ついに搬入が強行されます。この地区の住民は5万人であり、警察が住民と同数いるような状況です。ベルリンでこんなことをしたら、どうなるか、想像してみてほしいと思います。1000人もの人が逮捕されました。ある村では、村を警察が包囲し、でられない状態にし、ある意味村ごと一時的な逮捕状態におくケースもありました。これをベルリンに置き換えたらどれだけのことを意味するのかがわかると思います。

     私たちは、国際的な連携にも力を入れてきました。ウラン採掘をしているアフリカやオーストラリア、カナダの闘いとの連携があります。1kgのウラン燃料のために掘り出されるウラン鉱は、2万tです。燃料になる1kg以外はすべて廃棄物としてその場に放置されます。これは雨や風で拡散していきます。こうした地域の多くは、先住民の住むところで、土地を所有するという概念がないが故に、住民たちが土地の権利をもって反対することができない構造にあります。ドイツの原発のために、他の国の人が被ばくするということは倫理的には許されることではないのです。原発賛成という人に対して、この話をして納得してくれる人もいます。

    民主的な組織

     反対同盟は、およそ1000人の同盟員がいます。住民5万人に対して、およそ2%。ベルリンに置き換えてみればとてつもない数になりますよね。
     私たちは、気持ちよく闘えるような場所づくりに力を注いでいます。
     同盟のほかに「イニシアティブ60」というグループがあります。これは、入るのは簡単ではないですよ、60歳以上の人のグループですから(笑)彼らはデモの先頭に立ちます。そして、手書きのビラを警察に手渡します。警察官の側も、自分たちのおじいさん、おばあさんの世代からこういうことをやられるとかなりとまどいますよね。かなり効果的な戦術です。
     ほかにもたくさんのグループがいます。線路の破壊をする人、座り込みたいひと、道路に座り込みたい人、いろんな人たちです。同盟以外にもその外側に1000人ほど、多彩なグループがあります。事務所では、こうした運動を支える活動が大事です。重大な決定をする際には、様々なグループの代表を集め、民主的な討論で決めます。もし一致しない場合は、別個に進んでともに打つ。これも重要です。ただ、原則があります。物は破壊していい、人を攻撃してはいけない、ということです。線路を破壊したい、というグループと座り込んでいたいというグループは、となりにいれば戦術的には相容れませんから、場所を配慮して決めたりします。たくさんのメガホンが必要になるような行動です。

     私たちの運動には、3つの柱があります。々報、宣伝活動です。∨[的な闘いもないがしろにせず取り組みます。そして阻止行動です。これらの柱を統一的に組み立て進めるために事務所を活用します。実はこの順番は、重要なものからの順番です。阻止行動だけではありません。ぜひ他の行動もみてほしいと思います。かなり力を入れていることがわかるでしょうし、一人ひとりが、自分にもできる、と感じる分野があることが大事です。マスメディアは、全く事実を報道しません。広報はとても重要です。

    最終処分場計画に科学性なんてない

     最終処分場計画は、なんの科学的根拠もありません。地質学者の集まりにおいて、「東ドイツが西ドイツとの国境付近に同じものを作っている。だから我々は国境付近のゴアレーベンに作るんだ」と語られたことがあります。ゴアレーベンは、東ドイツにくちばしのように入った国境付近にあります。ゴアレーベンを中心に円を描けばその70%が東独であり、風向きを考慮すれば、事故が起きたときに東独に影響がでるようになっているのです。逆に言えば、科学的な根拠などないのです。

     近くに、突然湖ができた場所が2カ所あります。岩塩が水溶性であるために、水が入り、そこが陥没してできたものです。岩塩鉱は本当に危険なのです。
     岩塩が地表にまででてきている場所もあります。ようは地球は絶えず動いているということですよね。
     エルベ川は、昔はもっと大きかったわけですが、その川に運ばれてきた影響で、砂がとても多く、不安定です。ボーリング調査のさいには、このゆるい土を、−20℃で氷らせることで崩壊をさけるということをしていました。この温度に保つためのお金が、1日2万5千ユーロかかっていました。90年頃には、0℃にまで温度が上昇し崩壊、死者を出す事故となりました。
     Castor、岩塩、ねんど層、この三つの「安全弁」があるから、処分場をつくっても大丈夫だとされてきました。しかし、塩は金属を腐食させます。粘土層の中には空間があることも明らかになってきました。そして、400℃の核廃棄物が、塩をナトリウムや塩素に分解し、とくにナトリウムは水と反応して燃焼します。非常に危険です。
     賛成派、反対派、中間派の地質学者が討論する機会があったのですが、一致した点は、「100万年安定した地」が必要だという点です。こんなことはできるはずがないのです。

     同盟員には、メールやインターネットを通じて情報を送ります。さらに手紙や月刊の新聞を送ります。同盟費は年間50ユーロで、失業しているなどの理由のある人は20ユーロです。
     助け合うことが基本です。Tシャツなどの発注も、やすく作ることは可能でも、地元の仲間に発注するなどします。執行部は民主主義を大事にしています。執行部が何かを決めると言うよりは、現場からの意見を形にしていくことに力を注いでいます。

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